朝雨女の腕まくり

のんびりアラフィフシングルマザー。仕事のことや身の回りのいろんな話。時に真実・時にフィクション。

偶然の必然と祖父の笑顔

ここ半年くらい、明け方の夢を記憶に残っているだけ記録に残している。


書き捨てただけで、特に読み返したり、手を加えたりはしていないのだけれど、今日なんとなく読み返して見て、こんな言葉を発見した。



偶然性が必然であったかなんて、後になってみてもわからないことが多い。むしろわからない偶然性が繋がることによってのみ、自分は生きている


夢の中で会った、見知らぬ学生さんとの話の中で出てきた、私の台詞だ。


自分の言葉であって、自分の言葉でないような、不思議な感覚がある。

自分の夢の中の自分が発した言葉は、果たして自分の言葉だと言えるのだろうか。


出会ったことが運命だったかなんて、その場ではわからない、物理科学で証明されることのみが真実であるとは限らない。

そんな内容のことを話していた。



この夢を見た後日だが、物理博士であり、後世に残ることになるある重要な物質の開発に成功した祖父のエピソードを、ネットで発見した。

私にとっての祖父は、不器用で厳しい、人を寄せ付けないくせに変な魅力がある、そんな人だ。物理科学者でありながら私のオカルトチックな話に対しても拒絶することなくスッと受け入れるような、懐の広さを持っていた。小学生の私に自分の実験や仕事の自慢をして、おじーちゃんすごいね、って言うと心から嬉しそうで、ほんと大人気ないひと 笑



もう亡くなって15年以上になるけれど、未だに私を守り導いてくれる存在だ。

祖父が生きてる時は、お互いに素直になりきれないところもあったけど、孫の私と本気で口喧嘩する大人げのない祖父は、ネットの中の写真では、優しく幸せそうに笑っていた。



その写真は顔のみの編集だったが、私は背景まで思い出せた。私の大学卒業式の日、校舎の前で私と並んで撮った祖父だ。


祖父の発見は神さまのくれた偶然の贈り物だったのかもしれない、そんな内容の記事を読みながら、それもまた、偶然の必然なのかもしれない、と考えた。